マーダーミステリー「六花が空を覆うとき」王府システムの日本版後継者現る

2019.10.23

日本でマーダーミステリーの嚆矢となった「王府百年」を紹介したDearSpieleが送る本格的なマーダーミステリー、「六花が空を覆う時」

この作品をテストプレイで遊ぶ機会をいただきましたが、その後すぐにレビューをしたかったものの、いくつか「気になる点」があったため、少し時間をかけて検討をしていました。そして六花ができた背景を辿ることで、この作品の特別な部分に迫れないかと考えています。

王府百年とはなんだったのか

正直なところを言えば、王府百年の前にもマーダーミステリーは存在していました。Asmodee社の「死は白衣を纏う(Death wears White」が中国でメディアに取り上げられたことをきっかけに、アクションポイント・密談・個別ミッション制のマーダーミステリーは興隆したと考えられています。それ以前にはいわゆる欧米のクローズド型シナリオが存在していましたが、お店として取り上げられたことはありませんでした。(僕個人が、ゲームスペース柏木で、「ワインと殺人のお味はいかが」をプレイしたことはあります)

この「王府百年」を体験して、どの部分に注目して作品を作ったのかというのが、それぞれの団体で異なっているように感じられます。例えば、Rabbitholeの双子島神楽歌は、王府よりも登場人物同士によるストーリーの没入感に重きをおいた「小説や劇寄り」のシナリオですし、ヤノハのフタリは同じくストーリーの没入感を重視していてもより軽くて「TRPG寄り」のシナリオであると感じられます。

その中で、「六花が空を覆う時」が重視したものは、王府百年がもつゲーム性の部分だったのではないかと思うのです。実はプレイしてみて、まるで王府百年をもう一度遊んだ時のように感じられたのです。そこそこ複数のゲームを遊んでみて比較していくうちに、最も近いと感じたのがこの作品です。しかし、残念ながら王府百年のどの部分がどう似ているとはっきりいうことはできません。もちろん、王府百年と違い六花にはもっと日本的でより人の心に訴えかけるたくさんの仕掛けがあります。しかし自分にとってはそれよりも、王府に似ていると感じたところはなんだったのだろうという疑問が大きく残りました。

王府百年のもたらした感想とその後

当時、王府百年について自分がいだいた感想が、「もし、この状況であれば嘘をつくことができる犯人は圧倒的に有利であり、分かるはずがない」という絶望のような気持ちでした。その一方で、自分はひとりのキャラクターとして、その物語の中にひきこまれていってしまいました。

そして、同時にこうも思いました。次の機会があったら、自分はもう少し自分を変えてみよう、と。そうすれば、何かに気がついて、この混沌とした中に正しい道筋をつけることができるのではないかと。そして、自分自身のサブクエストとメインクエストを比較して、メインクエストをまっすぐに追ってみたいと。

ところが、マーダーミステリーは今のところ「同じ種類のものがない」といっていいほど群雄割拠、百花斉放といえる状態です。同じシナリオに出会えることなど、ありません。「記憶を消してもう一度遊びたい」という感情は、自分の力を出し切れなかったくやしさも間違いなくありますが、王府後の作品はそこからまたひとひねりされていてい、それをまっすぐに満たしてくれるシナリオはありませんでした。

六花が空を覆う時

この六花のプレイ中、偶然犯人のプレイヤーがごく小さな「嘘」をつきました。これは、シナリオに書いてあったものではなく、仕組まれたものでもない、純粋にその回のその犯人がもらしたものでした。その嘘を、最後の2分間、話し合いをしてはいけない回答の作成中に気がついた瞬間、何もかもが整然と自分の前に積み上がっていきました。分からないことは他にもたくさんあったけれども、少なくとも疑うきっかけが見つかりました。

結果的に、また自分は敗北しました。犯人は最多得票を獲得しなかったからです。少なくとも自分は、亡くなったあの人を想いながら、犯人をみつける初めての機会を得ることができました。

自分が経験したのはテストプレイ回で、その後かなり手を加えて変わったが「根本のところは変わっていない」ということで、正直なところ、レビューをすることは難しい部分はあります。しかし、似た作品を続けて遊ぶ機会があるというのは、僕以外にも悔しい思いをしたみなさんには、またとない機会になるのではないかと思います。

 

soukyuu

クトゥルーライブサークル マスカレイドのコアメンバー。 マーダーミステリー、ボードゲーム、LARP、TRPGなど体験したり物語を作っていくゲームが好き。
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